life in Norway

オスロ大学での留学について気ままに綴ります

あなたは留学を通して何を学びましたか?

こんにちは。

Gender equalityのクラスの3日間のtake home examを乗り越え一安心してるようこです。このテスト3日間で18000文字のレポート書けっていうものなんですけどなかなかつらかったです。もう終わったことなのであまり触れませんが。。。

 

さて。

もう11月も半分が過ぎ、私の留学期間は残り1か月ちょっととなりました。

はやかったなぁ。楽しかったなぁ。としみじみすることが増えております。

 

帰国したら私は就活というこれまでの人生最大の試練を乗り越えなければなりません。

就活のとき、きっとこんなことを聞かれるでしょう。

「あなたの強みはなんですか?」「あなたの短所はなんですか?」

そして、私は留学しました!ではなく、留学を通してこんなことを学びました!と言わなければならないでしょう。

 

長くなるので、今回は留学を通して気づいたことについて、書こうと思います。

 

久々に留学の志望理由書を読み返してみると、、、恥ずかしいですね。希望に満ちあふれた文章です。

 

私が留学したかった理由は、勉強したかったから。

志望理由書には、多様な価値観を持った学生と意見を交換し視野を広げたい!などとまああるあるな海外志向な文章を書いておりますが、実のところ、ただ単にジェンダー論と福祉政策が勉強したかったんです。日本にいるとき、勉強してなかったわけではありません。でも、部活とサークルとバイトをこなす日々の中で、勉強のプライオリティがとても低かった。講義には行く、でも疲れてて寝てしまうことも多かったし、教科書はろくに読んでなかった。試験前に自分のノートを振り返るだけで、必要最低限の勉強しかしてなかった。最近のテストの傾向として、いかに「授業」の内容を理解していたかが問われるから、ちゃんと出席してれば悪い成績なんてとらない。とりあえず要領よくこなしていただけで、勉強というものにきちんと取り組んでいなかったんです。だからいま、日本で学んでたことなんてほとんど覚えていません。

だから志望理由に、この半年は勉強に専念したい。と書きました。

 

こっちにきて、この目標は達成されたと思います。ちゃんと毎日勉強してました。課題文献は真面目に読んでました。テストでどんな評価を食らうのか分かりませんが、自分的にはジェンダー論と福祉政策について真剣に考えて悩みまくった。みんなが旅行で授業を休む中、私は1つもスキップしなかった。病みそうになるくらい、真面目でした。特にジェンダー論は、毎週課題文献が膨大で、クラスのみんなが量多すぎ無理って言ってたけど、私はほぼ読んでました。100%理解していたとはいえないけれど、読もうと努力しました。日本みたいに、講義で教授が丁寧に1から10まで教えてくれるわけではなくて、基本この文献読んで自分で理解してね、というスタンスなので講義はあくまで勉強のアウトラインでしかない。教えてもらったことを暗記するのではなくて自分で読んで自分なりに自力で解釈しなければならない。これが学ぶことなんだ、考えることなんだと、知りました。テストのためだけではない勉強はおもしろかったしもっと学びたいとも思うけれど、かなりしんどかったです。

 

留学する前、実は私はこんなことを期待していました。

様々なバックグラウンドをもつ学生と和気藹々とクラスでディスカッションをし、図書館にこもって勉強して、休みの日は友達みんなで出かけて、パーティーもして。。。

キラキラしたキャンパスライフが待っていると。

 

しかしいざこっちに来てみて、どうでしょう。

8月のオリエンテーション期間は、頑張ってました私。

イベントは全部行った。バディグループ(割り当てられた留学生たちのグループ)がみんなで出かければそれにもちゃんと行った。どこかのstudent societyにも入ろうとした。この期間にたくさんの人に出会いました。それはそれでよかったと思います。でも、大半の人のことはもうあんまり覚えていないし、仲良くない。

なぜなら、私はもともと大人数でわいわいするのが好きな人じゃないからです。パーティーなんか大嫌いなのに、無理して行っても、パーティー大好きピーポーと結局は友達になれないんです。全然楽しくないんです。留学を通して自分を変える!!と相当強い意思を持っていない限り、なかなか、そう簡単に人は変わらないんだなと思いました。日本で地味~に生活してきた私が留学したからといって自動的にいわゆるリア充な生活を送れるわけはないんです。

 

色んな人に会って頑張って会話することに疲れた頃、友達、いや、親友ができました。フラットメイトたちとも、一緒に夜ご飯食べたり出かけたりするほど仲良くなりました。私はとてもシャイで、会話を続けることが苦手です。大人数が嫌いです。だから友達は少ない(たぶん自分の中の友達の定義がだいぶ狭い)。でもその数少ない友達との関係性はとてもとても強い。狭く深くタイプです。

思い描いていたようなキラキラ生活とは違うし、私の中で「友達」と呼べるのは現状2,3人しかいないけど、私は満足しています。こんなシャイなやつに、話しかけてくれて、友達になってくれた人がいることに感謝です。

 

ただ、「受け身」であることを変えられなかったのは、ちょっと反省です。

なんだか矛盾してますが、もう少し、積極性があってもよかったのかなぁと。

もっと、自分から話せるようにならないといけないなと思います。これはこれから社会に出たら絶対に必要とされるスキルだし、海外だったらなおさら必要です。

 

4人以上の会話になると昔から聞き役に徹してしまって発言しなくなるんですが、黙っていると必ず、ようこはどう思う?って話を振ってくれるんです、みんな。話に入れないなぁと思ってるとき、こうして輪に入れてくれるのはうれしいけれど、気を使わせてしまっているんだなとも思う。こっちに来てみて気づいたのは、ほんとにみんなよく喋る。しゃべり続ける。無言の時間はほぼない。だから黙っていると、話したいのに話せないのかなって心配される。相手がしゃべりかけてくれているのに、自分が気の利いた返しをできないこと、こっちから話しかけられないことがとても申し訳ないし悔しい。私が全然話さなくても、私の周りの人たちは、ようこはシャイだからって思ってくれてるような優しい人たちだったことに、甘えてしまっていて、積極的になろうという努力を怠ってしまったことを反省してます。

残りの1か月、ちょっぴり挽回できるよう努力します。

 

さてさて。

ところで、この留学を通して得たものってなんなのでしょう。

この留学は私に「圧倒的成長!」をもたらしたんでしょうか。

私はなにを、学んだんでしょうか。

 

私がノルウェーにきて強く意識するようになったのは、「日本人」というアイデンティティです。私のフラットは、私以外全員ヨーロッパ人です。フラットメイトのバディグループにも何度か参加していましたが、そのグループも全員ヨーロッパ人でした。そこで痛感した、アジアとヨーロッパの文化、ノリの違い。最初の頃、ヨーロッパの共通話題、ユーモアにまったくついていけなくて、つらかった。割とみんな自分中心で生きてること、視覚的な単純な笑い、基本下ネタメインのジョーク、とりあえず大人数で行動すること。なにもかも、嫌でした。アジアになんて興味ない、あんまり知らないって感じの人もいて、まあそんな人とは仲良くなれるわけもなくて。台湾人、韓国人の子と話しているときの安心感がとつもなくて、ああ、これが文化の壁か、と嘆く日々でした。

途中から、彼らに合わせようとすることをやめて、日本人らしく、自分らしく過ごそうと決めました。そうすると、なんだか楽になった。日本の思いやり精神は、すばらしいですね。相手のことを思いやる言動、優しさ。笑顔。これで私はフラットメイトとの信頼関係を築けたと思っています。世界はヨーロッパ中心なんだろうけど、だからってなにもかもヨーロッパに合わせる必要はないと思います。アジアの文化を卑下することはなくて、文化の違いとして理解できればいいと思うんです。ただ、自分の文化を知ってもらうためには、相手の文化を知ろうという態度が必要不可欠であると痛感しています。日本に興味をもってくれると嬉しいように、私も、相手の文化に興味をもつと、自然と良い関係は生まれるんです。日本のことを知ってくださいよ~と一方的に頼んだって意味ないんです。自分も歩み寄らなければならないんです。

そのためにはまず日本人はもっと、日本人であることに自信をもっていいと思うし、日本人であるという自覚をもたなければならないと思います。たとえば、みんな自国の政治や歴史をどうどうと話せるのに、私はあいまいにしか分かっていなかった。日本の文化を、自信をもって説明できなかった。やれグローバル化だなんだと言って世界史を必修にしたり英語に力を入れたり、国際なんちゃら学部をたくさんつくるのはいいですが、その前にまず自国のことを知らなきゃ、私たちは国際社会で宙ぶらりんな存在になってしまう。ノルウェーにきて、日本から出てみて、アイデンティティを確立できたのはとても面白いなと思います。そして自分が日本人であることを、誇りに思うようになりました。

 

この留学で得たものは、たぶん、「自信」です。

英語力がめちゃくちゃ伸びたとは思わないし、びっくりするくらい私変わった!!成長した!!とも思わないけれど、自分に「自信」がついた気がします。

私は一人っ子で、実家暮らしで、なにもかも親に頼ってこれまで生きてきました。

ろくに家事は手伝ってこなかった。困ったときはなんでも親に相談してました。だから、海外で一人で生きていけるのか、来る前は本当に不安でした。

ノルウェーについたとき、必要最低限のものしかない部屋、フラットメイトには誰にも会えなくて、ごはんもつくれないお湯も沸かせない、なんにも分からない。そんな状況がつらくて、泣きました。さすがに。でも泣いたのは、そのときだけです。あれだけ頼っていた親には、一度も電話をかけていません。ときどき写真や近況報告を送りますが、電話は意地でもかけなかった。たぶん一度声を聴いてしまったら、さみしさが増すだけで、逆につらくなるだけだったと思うので、結果的によかったと思います。

英語で話すのも最初は大変だったし声も小さくてなんか今思えばずっとおどおどしてました。家事を全部自分でこなさなければならないもの最初は負担だったし、ノルウェーは男女平等なのでレディファーストとか女性は弱い的な価値観のない社会に最初はついていけませんでした。ノルウェーの女性はみんな強くて怖かったんです。でもだんだん、自分が日本の伝統的なジェンダーステレオタイプを無意識のうちに受け入れていたことに気付きました。私は男の人に頼ってなんかないし、と日本では自分自立して強く生きてますって感じでしたが、ほんとはそんなことなかったんです。ここでは性別なんて関係なくて、一人の自立した大人、として扱われます。だから、全部ちゃんと一人でできないといけないんです。

 

「自信」がついたなぁと思うようになったのは、英語を話すことが嫌ではなくなった頃からでしょうか。もともと英語ができる方ではあったのですが、自己評価はとても低くて、いや私なんて全然英語出来ないし。やっぱネイティブには劣るし。と思ってて、日本ではまったく英語を使おうとしませんでした。必要だから勉強してるけど英語は好きじゃない、ってよく言ってました。

でもノルウェーに来て、私英語使ってどうにか生きていけてるじゃん、とポジティブに自分を評価できるようになりました。というのも、留学生は英語が母語じゃない人が多くて、なんならノルウェー人だって英語は母語ではないので、みんなネイティブみたいには話せないけど、そんなの気にせず英語で会話してる。私よりはるかにみんな英語で流暢に会話ができていて自分のスピーキング力のなさを痛感するけれど、うまいとか下手とかそんなのどうでもいいんです。よく言われることですが、英語はツールでしかないんです。そりゃうまいに越したことはないけれど、いや英語苦手だからって避けていたらなにも始まらないんです。言いたいことがちゃんと伝えられるようにもっと英語頑張ろう!みたいな向上心のある人間ではないので、いまだに英語は嫌いですが、勉強してきてよかったなって思います。

 

まだまだ自分にはだめなところはたくさんあります。勉強の面では、やはりアカデミックライティングが下手くそすぎるところ、発言できないところ。生活面では、料理がいまだにパスタしか作れないところ、結局あまりソーシャライズできていないところ。でも、泣きたくなる量の文献をちゃんと読みきったこと、いつも笑顔で友達と会話ができること、一緒に勉強して、一緒にごはん食べてくれると友達ができたこと、ジムにも一人で真面目に通ってること、きちんと買い物して洗濯して料理して生活していること。などなど、私的にはこうした小さなこと1つ1つが自信につながっています。

中学生の頃の担任が、口うるさく「井の中の蛙になるな」って言っていて、それが自分に強く影響していて、たとえこのコミュニティの中で成績が良くたって、社会にはもっと優秀な人がいるんだもん、って自己評価を低くしてきました。確かに、優秀な人はいっぱいいる。でも、ネガティブになったってなにもいいことないです。自分は自分なりに、自信をもって堂々と生きていくことの方が、いいなぁ、と漠然と感じています。それは決して自分の能力を自慢するとかそういうことではなくて、私はできるっていう自信をもつと、いろんなことが良い方向にいくし、やる前からあきらめたり、挑戦することから逃げなくなったように思います。

 

長々と、とっちらかったお粗末な文章ですが。感じたことが多すぎて、まとめきれていませんが。

何事も、振り返ること、はとても大切だと思うので。

 

今日はここまで。

もう街はクリスマス一色なので、次回は明るいトピックにしようと思います笑

 

では。